2023年で創業30周年のキックファクトリー。
これまでの歩みから今後の展望の他、
社員や仕事に対する考え方、当社の強みなど、
社長の北村と古くからの付き合いのある元社員・宮脇氏が昔話を交えながら語ります。
株式会社キックファクトリー
代表取締役 北村 敏彦
株式会社サンリス
代表取締役・C.E.O. 宮脇 愼治
(元 キックファクトリー社員)
企業映像からスタートしエンタメ系へと幅を広げる
- 宮脇:
- 今回の企画の対談相手に私を選んでくれた理由は何ですか?
- 北村:
- 当社を一番知っている協力会社の人だから聞き出し役として宮脇君にお出でいただいた。
それに宮脇君が率いるサンリスは、イベント企画や映像制作、映画配給なども手掛けているし、映像イベントや映画、音楽など、当社の歴史を振り返る上で共通の話題が多いと思ったからね。
- 宮脇:
- 私が北村さんと出会い、キックファクトリーで働き始めたのが23年前。その約6年前に北村さんは会社を興しました…と。
では早速、起業の経緯を聞かせてください。
- 北村:
- 工学系の大学に入学したものの、映像の仕事への夢が諦めきれず、大学を中退して多摩美付属の映画学校に入り直した。
卒業後、いくつかの映像制作会社に勤めたんだけど、最後の会社で出会った仲間2名と起業したんだ。数年前から妻に「起業できるんじゃない?」と勧められていたし、取引先の代理店の人からも「応援するから独立しなよ」と話をいただいて、1993年の冬、33歳の時にキックファクトリーを立ち上げた。いいタイミングだったと思うよ。
- 宮脇:
- 当初はどのような映像を制作していたんですか?
- 北村:
- 社員教育用やリクルート、商品紹介、企業イベントなど、企業映像などがメイン。2002年からは映画制作にも関わるようになった。前田亜季さん主演のホラー映画が最初で、主な作品には仲里依紗さん主演のめざましテレビのタイアップムービー、安田美沙子さんのラブコメ、「るろうに剣心」でアクション監督を務めた谷垣健治監督とのアクションムービー、葵わかなさんと恒松祐里さん他出演のホラー映画などがある。この頃は、エンタメ系の仕事が多く、ミュージックビデオは何本も手掛けたね。音楽関係の専門学校とのタイアップで、音楽CDの制作から販売を経験したことも。丁度、宮脇君が社員だった頃と重なるね。
全体を見渡せる
映像のプロ集団
- 宮脇:
- とても過酷な映画の制作現場を経験しました(笑)。特に巨匠と言われたある監督の現場は、怒声や罵声、時にはスタッフが床に投げつけられる音が響くなど「ザ・昭和」でしたね。その監督は当時70歳前くらいで、飲みに行ったりすると優しいお爺ちゃんです。でも、現場に入ると突然元気になる。映像に対する思いとバイタリティが物凄くて、その姿勢はとても勉強になりました。ただまあ当時は「この野郎…」と思っていましたがね(笑)。
- 北村:
- 映画の現場をいくつも経験しているのは当社の強みの一つだと思う。映画はスタッフや出演者、機材などがとても多く、脚本やスケジュール、タイムテーブル、予算管理などを緻密に進めなければならない。これは、どの映像制作にも活かせる。音楽制作にしても映像に音楽は欠かせない。現在は比較的、簡単に音楽をつくれる環境になったけど、当社はそれ以前から現在まで映像用にオリジナルで音楽をつくっている。宮脇君らの苦労は、キックファクトリーの経験値として蓄積されているよ。
- 宮脇:
- 当時の北村さんに「抱え込み過ぎるな」と言われたのが一番印象に残っています。あの頃の私は受けたものを全部1人でやり切る感じで、それ以外の方法が分からなかった。
「できないことは人に依頼し、分かる人にお願いするのも仕事だ」と言われた時、「できなくてもダメじゃないんだ」というような感覚で、気持ちがとても軽くなったんです。覚えていますか?
- 北村:
- なんとなく(笑)。今は変わりつつあるけど、昔から映像業界は親切丁寧に教えない。だから右も左も分からない新人が周囲を見ながら真似ていき、覚えた仕事は自分で処理する。その繰り返しで仕事を増やして成長するんだけど、そのうち大量に抱え込んでしまいパンクするのがお決まりのパターンだよね。誰かに頼むとか、人を動かす経験をあまりせずに偉くなっちゃった人も多くて、私が下っ端の頃もそんな上司に「これやっとけ」とポンと仕事を振られるのがほとんどだった。それじゃ成長速度が遅いし、経験値もなかなか増えないよね。社員にとっても会社にとっても時間の無駄。今も昔もキックファクトリーが目指すのは制作全体を見渡せる映像のプロ集団。そこがベースだから早くそこに到達してほしい という思いがあるね。さらにディレクターやシナリオライターという個々の能力やセンスを活かす一歩踏み出した仕事までこなせる人材がいるのが当社の売りだから。一つの作業や現場に入れ込みやすい若手には「自分だけで動くな」、「周囲の人と協働するのが仕事」、「チームワークが大事」とずっと助言しているので、当時の宮脇君にもそれっぽいことを言ったのかな。
元社員とも一緒に仕事する
強くて大きなチームワーク
- 宮脇:
- 「チームワーク」という単語が出ました。キックファクトリーを内からも外からも見ている私からすると、社員同士のチームワークの良さをとても感じます。
- 北村:
- 実は、当社には入退社を繰り返した社員が多く在席してくれている。ゲーム会社では多いみたいだけど映像業界だと当社は少し珍しいと思う。その理由は、「時代によって社内の仕事のボリュームを常に変化させてきた」ことと、私が「社員一人ひとりが自立した存在であり、一緒に進んでいく集団 であること」を望んでいるからだと思う。具体的に言うと、例えば、Web関係の仕事が増えた時に、それに強い人を社員に採用したとする。でも、その社員のやりたい仕事がいつまでも当社にあるとは限らない。やりたい仕事を我慢して当社に残るより、情熱を傾けられる仕事を続けるために独立して、その上で機会があればまた一緒に仕事ができれば良いし、当社でやりたいことが実現できるなら戻って来たって良い。その方が自然だし良い仕事ができるでしょう。経験したいことや、やりたいことができる環境にないと、良いチームワークどころじゃないよね。
- 宮脇:
- そういう北村さんの考え方が、社員の活気や社内の賑やかさにつながっているんですね。
- 北村:
- 出入り自由みたいな社風があるのは確か。そうしていると、宮脇君をはじめ面白い人間と出会うんだよ。宮脇君だって関西で立派な会社で働いていたのに、「ハンガリーのピアニスト『ジョルジュ・シフラ』の映画を撮りたい。でもこの業界の経験はありません!」って28歳で東京に出てきた。持参した企画書、あらすじ、予算表が意外としっかりしていて、見所があると思ったよ。キックファクトリーからイベント会社に転職した時も、独立した後も、映像制作会社とイベント会社として一緒に仕事をする関係は続いているよね。宮脇君だけでなく、今でも一緒に仕事をする元社員が多いのは、当社の大きな財産だと思っている。
変らない良さと
変化を止めない歩み
- 宮脇:
- 元社員の多くと良い関係が築けているのは、北村さんの人柄だと思います。北村さんの印象は、出会った23年前とほとんど変わっていないんですよ。見た目も意外と老けないですね。
- 北村:
- そうなの?本人は全然分からないけどね。
- 宮脇:
- 長年会社をやっていると、その時々の業績で調子が良くなったり当りが強くなったりと変わる人はいるでしょう。私がキックファクトリーを退社した2001年以降、北村さんの会社も山あり谷ありだったと思いますが、いつ会っても安定して穏やかな印象を受けます。
- 北村:
- 危機的な状況は何度かあった。でも、悲観しても状況は良くならない。逆に浮かれるほど良い時期があっても長続きはしない。そして、変化がないと成長もない。だから、会社にも自身にも、社員にも変化は必要と常に思っている。私の印象は別にしてね(笑)。
- 宮脇:
- 今後はどのように変化したいですか?
- 北村:
- 経営戦略から話すと、現在は企業映像とゲーム関係の映像に案件をいったん集約しているけど、今後は、以前手掛けていたエンタメ系である映画や音楽案件を復活させ、新たにCMなどにも力を入れていきたい。また映像とWebとのつながりが重要となっている昨今、Webでこそ活きる動画の制作にも力を入れていく。この数年、その準備をしてきたので、これから実行に移すよ。そのための人材も集まってきてくれているしね。そして、会社が目指す大きなテーマは「心を豊かに」。キックファクトリーの社員も、関わる人も、我々の映像を見た人もそうなるようにしていきたい。最後に付け加えるとするなら、宮脇君の「ジョルジュ・シフラ」の映画企画が進展したら、全力でサポートしたいね。
- 宮脇:
- 私もぜひそう思っています。現実味はまだ帯びていないんですけどね。
- 北村:
- 23年間追い続けているわけだからね。普通ならどこかで諦めちゃうよ。
- 宮脇:
- 往生際が悪いんです(笑)。
- 北村:
- モノをつくる人間としてとても素晴らしいと思うよ。
Toshihiko Kitamura北村 敏彦
株式会社キックファクトリー代表取締役。
多摩美術大学付属多摩芸術学園映画学科を卒業後、映像制作会社を数社経た後に1993年12月にキックファクトリーを仲間友人2人と興す。
Shinji Miyawaki宮脇 愼治
株式会社サンリス代表取締役・C.E.O.。
大学卒業後、関西で不動産開発の仕事に従事する。28歳で東京に出てキックファクトリー社員に。1年務めた後にイベント会社に転職。2005年に株式会社サンリスを立ち上げる。
サンリス立ち上げ時には、北村も株主、役員として参加。